あれから3ヶ月。

2011年3月11日金曜日、14時46分18秒。
三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の地震が起きた。
後に「東日本大震災」と呼称される。


 地震発生時、私は商談の為に足利市へ向けて国道293号を走行中でした。
 佐野市に入り、出流原町付近で信号待ちの時、車が大きく揺れた。
 ワゴン車なので、最初は強風にでも煽られたのかと思ったのだが、前の車もその前のダンプも揺れてる。
 おまけに、道路標識や信号機までもすごくしなってる。
 あ…地震だわ…。大きいな。
 すぐにナビをTVに切り替え、NHKに(会社の車のラジオが壊れてて…)
 
 案の定、特番が組まれてて「大地震が発生した」とか報道してた。
 信号が消えて、停電になったことを知る。
 車がゆっくり走り始めたので、追従して進行。
 この時は、確かに大地震だったみたいだけど、そんなに大したことは無いだろうと思っていた。
 足利市に入ると信号も点灯している。
 が、顧客のところへ付くと、近所の家屋の大谷石の塀がいくつも倒壊している。
 取り急ぎ顧客の安全を確認し、サンプルだけお渡しして帰宅する事にする。
 自宅は親父が一人。
 お袋はスーパーで働いているので大丈夫だとは思うが、自宅の親父が心配だった。
 親父はあまり使わない品物をダンボールに詰めて、その箱を積み木のように積み重ねる癖があって、ダンボールが積み重なってる所があったり、家具の上にもダンボールなんかが積んである。
 たぶんそれらは崩れ落ちているだろう。
 もし昼寝なんかしてて、それらが頭の上にでも落ちていたら…。
 必死で車を走らせるが、道路は渋滞。足利を抜けて佐野市に入ると停電で信号が機能していない。
 携帯電話も通じない…。
 ダメもとで新しく出来た北関東自動車道の田沼ICへ向かってみるが、案の定地震で入り口閉鎖。
 仕方なく国道293号へ戻ろうとするが、また渋滞…。
 信号が機能してないから、横道から国道へ入るのは大変。おまけに右折しなきゃだし。
 なんとか国道293号へ戻り、自宅へ。
 通常の倍くらいの時間がかかった。
 とりあえず自宅は無事。親父も無事だった。
 しかし、家の中は物が散乱。自分の部屋ももちろん散乱。
 本棚の本やCD類は全部床にばら撒かれてるし、棚の上の物やなんかも全部落っこちてる。
 が、地デジ対策で買ったばかりの液晶TVや、外からアクセスする為に電源入れっぱなしのPCが無事だったのは不幸中の幸い。良く壊れなかったなぁ。
 とり急ぎ、TVのスイッチを入れて手当たり次第に片づけを始める。
 そして目にしたのが津波の被害と、東電福島原発の事故。
 正直、TVの報道を見るまでは津波の被害なんて頭になかったし、大地震って言っても古い家屋が崩壊しちゃったりする被害くらいで(不謹慎な言い方ですみません)、あんなに大変な事になっているとは思わなかった。
 原発もしかり。安全神話なんて信じてはいなかったけど、ああも脆い施設だとは思わなかった。
 一時、書き込み停止。


by 3neko on 6月 11th, 2011 in 日記・コラム・つぶやき

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